身体が太陽のように燃え輝く剣に貫かれる。
その熱さに焼かれ思わず絶叫した。しかし浄化の炎はこの身に宿る邪悪な意志を焼き尽くし、本来の意識をその隙間から剥がし覗かせる。
暗闇の中から引きずり出され、眩い光の中で剣を持つ青年の顔を覗き見た。
藍髪を靡かせる青年はとても苦しそうな顔をしていた。空のように澄んだ青い瞳は憎悪、悔恨に塗れている。しかし瞳の輝きは強く、こちらを射抜くよう真っ直ぐに見つめていた。
かけがえのない友であり半身。
彼は約束通り来てくれた。そしてどうにもならなくなってしまった自分を止めに来てくれた。
剣が引き抜かれ身体がよろめく。傷口から血と闇の力が吹き出し、茨に苛まれていた意識が解放され曇りのない瞳でようやくこの世界を見られたのだ。
「ありがとう」
己の使命を果たしたというのにやりきれない顔でこちらを見つめてくる友に笑いかける。
この身に満ちていた強大な力を失った身体が傾ぐ。手を差し伸べようとする友から逃れるようよろめき、邪竜の背からこの身を落とす。
邪竜が耳障りな叫びをあげその巨体を瓦解させていく。友は彼の妻である天馬騎士に救われたようで、白い翼が飛び立っていくのが見え安堵した。
夢のように崩れ落ちていく瓦礫の中に紛れながら、久しぶりに覗いた太陽とペンダントとして首にかけていた銀色の指輪を見つめた。
――大切な人をこの手で殺し、この世界を暗黒に染めた。
一人残してしまうあの子のことが心配だが、きっと半身である友が何とかしてくれるだろう。
身体が粒子へと分解されていくのを感じながら、男は一人微笑みを浮かべていた。
――この悲劇が当分起こらぬよう、自分の魂に砕かれた邪竜を封じよう。奇跡的な条件が重ならぬ限り、この我が儘な竜のお気に召す器は現れないはずだ。
あとは共に任せて眠りの中世界を見守ろう。愛する人達が、信頼する仲間が紡いでくれる平和を信じて。
赦されなくてもいい。
だがもし次に目覚めることがあれば、大切なものの因子を継ぐ子達を守ろうと決めた。
だからそれまでは、愛しい人の夢を見ていたい。
友の叫びが聞こえた気がした。しかしそれに答えず、男の意識は宙に霧散し消えていった。
*
ルキナは砂礫で足を取られる道を急いでいた。
ペレジアによってエメリナが囚われ、処刑されようとしている。ルキナがいた時代では王宮にて暗殺されているが、相違はあれど彼女が殺されることに変わりはない。絶望の未来を変えるために、なんとしても彼女を救わなければならないのだ。
不気味なほど草木が生えていない一帯を駆けていたものの終わりが見えず、容赦なく照りつける日差しに汗を拭いながらルキナはため息をつく。
基本的にこの世界は争いの気配はあれども命に満ち平和だが、ここだけ未来のように命の気配がない。不気味な風音が早くしないとこの時代も絶望に染まる、と警告されているようでルキナはより焦燥感に駆られているのだ。
クロムが動けない以上、単独行動が可能で敵の裏をかけるのはルキナだけだ。なんとしても聖王の処刑を食い止めなければ。
しかし仲間もおらず体力も限界に近い。よろめく足で一度水分を補給しようと立ち止まり、あたりの景色を見た時言葉を失う。
それまでそびえ立つ山だと思っていたものは、よくみると大きな突起が突き出ている。
岩山のようなそれに刻まれた凶悪な顎、そして顔のような禍々しい頭部にルキナは背筋が震えるのを感じた。
「ギムレー…」
それは未来で対峙した邪竜ギムレーと似た姿をしていたのだ。月日を経たのか摩耗しているところもあるが、堅牢な骨格は今にも動き出しそうで、復活の時を待つよう恨めしそうに地を寝そべっている。
『お前の父も母も死んだ』
嘲笑うような声、そして震えながらファルシオンを構えるルキナを丸ごと喰おうと大剣のような牙を向けてくる邪竜の姿がフラッシュバックする。
恐怖でルキナは水筒を落としそうになる。しかしなんとか震える手を抑え、怖れごと飲み込むようルキナは水を口にした。
砂と土埃で乾いていた喉が潤される。冷たい水が身体に染み渡るのを感じると少しは勇気づけられ、ルキナは口を拭いながら革袋を締めた。
――そうだ、未来を変えられるのは私しかいない。
なんとしても運命を変えなければ…
生命の気配がしない大地を睨みつけ一歩踏み出す。しかしその時、静寂に包まれた大地でルキナはもぞり、と動く塊を見つけた。
最初は力尽きた野生の獣かと思った。しかし食料も水もない苛烈な大地にこんな大型の生き物がいるはずもない。不審に思い、ファルシオンの柄に手を掛けながら慎重に近づく。
ただの黒いものにしか見えなかったそれは、近づいてみればどうやら人のようだ。
慌てて駆け寄ってその塊に触れる。場所が場所だから干からびた死体かもしれないと思ったのだが、肌が服の隙間から覗いていることからまだ倒れて日が浅いことを感じさせた。
「これは、ダメかもしれませんね…」
こんな荒野の真ん中に倒れているくらいだ、もう息絶えているかもしれない。
顔を曇らせるもルキナは突っ伏し倒れているそれをひっくり返し、首筋に手を当てた。
どうやら男のようだ。それも予想に反し首筋からは脈動を感じる。生きているようだ。
しかし顔色は優れないし旅装らしきものも見当たらない。恐らく追い剥ぎにでもあったのだろうか、このまま放っておいたら死んでしまうに違いない。
「大丈夫ですか、しっかりしてください!」
ぐったりとしている男の肩を揺らした。みれば外套の中に着ている男の上着は引き裂かれており、そこから大きな傷跡が覗いていた。塞がっているとはいえ重症だ、早く休ませないと。
しばらく必死になって声をかけていると、それまで固く閉ざされていた男の瞼がピクリと動いた。そしてルキナの声に呼応するようゆっくりと開かれていく。
「イ…リス…」
「え?」
ぎこちなく絞り出された声にルキナは目を丸くした。男の目が完全に開かれていく。母とどこか似た、理知的だが温かい琥珀色の瞳が焦点を結ばずぼんやりとこちらを見つめてくる。
何故だかルキナはその瞳に強く惹かれ、思わずこちらも見つめ返す。初めて会ったというのに、奇妙な懐かしさを覚えたのだ。
眩しそうに一回瞬きすると、男の頬に血の気が戻っていく。そして不思議そうな顔で小首を傾げてきた。
「あ、すみません!」
穴が開くほど見ていてしまい不審に思われただろうかと赤面し、ルキナは慌てて顔を離した。
男はそんなルキナにきょとんとしてみせたが別段気分を害した風にも見えず、胸を撫で下ろす。
「貴方はここで倒れていたんです。ここはペレジア、一人で旅をするには無謀な場所ですよ。もしかして迷い込んでしまったのですか?」
「ペレジア…?」
男は訝しげな顔をしてみせ、ぎこちなく首を動かし辺りを見回した。まさか追い剥ぎされた後ここに捨て置かれたのではないだろうか、とルキナが顔をしかめた時男は思いもよらない発言をする。
「…わからない、ペレジアってなんだ?」
「え?」
「何しにここへきたのかも思い出せない…自分の名前もだ。ねえ、君は僕のことを知っている?」
心底困った顔でこちらを見てくる男にルキナは絶句した。
そんなことルキナに聞かれてもわからない。なにせ会ったばかりなのだから。
兎に角このまま放っておく訳にもいかない、せめて休める場所まで連れて行こうとルキナは提案し、寝ぼけ眼の青年に肩を貸した。
「落ち着きましたか?」
「ああ、有難う。君がいなかったら僕は野垂れ死にしていた」
荒地を抜けてしばらくした先にオアシスを見つけ、ルキナは携帯していた干し肉を男へ分け与え水を飲ませた。
それまで夢うつつといった顔をしていた男は腹が膨らむとようやく意識が鮮明になったのか、幾分かしゃっきりした顔でこちらに微笑みかける。
「それで、何か思い出せたこととかありますか?」
「…ごめん、やっぱり何も思い出せないんだ」
男は肩を竦め深くため息をつき、その様子にまるでこの時代の母ルフレのようだとルキナは思い返す。
人伝の噂だが自警団の軍師ルフレは記憶がない状態で父クロムに拾われたらしい。そのことで未来が変わらないかとヒヤヒヤしたこともあったが、どうやら無事結ばれたようで記憶がなくとも引き合う運命の恋に流石だと感心したものだった。記憶の中の二人は仲睦まじかったのだ。
「助けてもらったというのに申し訳ない。そういえば君の名前を聞いてなかったね」
「私は…ルキナです」
一瞬本名を名乗っていいか躊躇ったが、男の人懐っこい笑顔に隠す必要もないかと思い名を告げる。どのみち一番隠したい相手である父にはマルスでないことがバレてしまっているし、この時代のルキナはまだ生まれていないし異国の地だからさして影響はないだろう。
男は反芻するようにルキナ、と口の中でつぶやくと、こちらに向かって花咲くような笑顔を向けてきた。
「ルキナ、か。とても素敵な名前だね」
並の男が言えば世辞か気障としか受け取られないだろう歯の浮くような台詞。しかしはにかむ男の言葉は一切飾られておらず自然で、そのおかげで嘘偽りない言葉としてルキナの胸を貫いた。
何故だか頬が赤くなる。この男とただ話しているだけなのに心が温まるのは、長らく人と一緒に行動してなかったせいなのだろうか。
「有難うございます…父がつけてくれた自慢の名です」
「へえ、お父さんが…君のお父さんはいいセンスの持ち主だね」
さらに自慢の父まで褒められルキナは照れてしまい、にこにこと笑う男から視線を逸らす。
ここまで率直に褒められるのは初めてだ。干渉しすぎてはいけない世界、共に時を飛んだ友人達もいない中聖痕があることを悟れぬようにとルキナはなるべく人に関わらずこの時代を生きてきた。そんな中、純粋な好意を向けられるのは砂漠に一滴の水を垂らされるように甘美で口元が綻んでしまう。
――いけない、私には現聖王を救うという使命があるというのに。
慌てて口元を引き締めて意志を確認しようと固く拳を握れば、ルキナの心境など露知らず男はのんきそうにあくびをして草むらへと座り込んだ。
「誇れる名前、か。僕の名前はなんだったんだろう」
「名前を思い出せないのは不便ですよね…何か自分に縁のある品など持っていないのですか?」
「縁、かぁ…持っているのはこの本くらいだけど、名前なんて書いてないよな」
男は随分古めかしい本をパラパラとめくって見せる。ルキナも覗き見たがそれは呪文書のようであり、母から基礎は習ったが練習する機会が中々とれなかった為詳しいことはわからない。ただ随分複雑な術式が書かれていることはわかった。
しかし決定的なことは書いてなかったようで男は「ダメか…」とうなだれ本を閉じる。その時
外套の影になっていた彼の胸にキラリと輝くものを見つけ、ルキナは「あの、」と思わず声をかけていた。
「首にかかっているそれはなんでしょうか?」
「ん?なんだこれ…指輪?」
男は不思議そうに首元を弄りそれを取り出す。簡素な革紐に通され首飾りとなっていたそれはどうやら指輪のようだ。日光に晒され、銀色の金属が光を放つ。
よくみれば輪に沿うようウロコのようなものが彫られており、所々に真珠色に輝く貝のようなものがはめ込まれている。随分と凝った作りの指輪だった。
「綺麗ですね」
「お、僕の指にピッタリと嵌る。これはもしかしたら大きなヒントになるかもしれない、有難うルキナ!」
「いえ、私はなにも…あら、裏にもなにか彫ってありますよ?見ても良いでしょうか?」
はしゃぐ男の許可を取り、ルキナは指輪を受け取って裏面を観察する。
大分傷がつき一部分が摩耗してはいるが、はっきりと「Iris」と刻まれた文字を見つけ目を丸くする。
「なんて書いてあった?」
「Iris、と…。そういえば、貴方は目覚めた時にイリスと言っていたような」
「イリス?イリス…イリスかー」
「あ、でももしかしたらイーリス国で作られたからそんな刻印がされているのかもしれません。ごめんなさい、期待させるようなことを言ってしまって」
もしかしたら彼はイーリスに縁があるだけの旅人なのかもしれない。指輪もイーリスで買ったものだからそう刻まれてるだけかも、と付け加えてみるも男は顎に手を当て、指輪の裏を見つめながら何かを考え込んでいる。
そして穏やかに輝く琥珀色の目をくるりと一回転させると何かに頷いてルキナに向き直った。
「うん、言われてみれば僕の名前はイリスだった気もする!」
「ええ!?気もする、で決めてしまっていいことなのですか?」
「でも指輪にも確かにそう刻んであるし、なんだかとても馴染みがある言葉な気もするんだ。どのみち名前がないと不便だし、とりあえず今はイリスって名乗ることにするよ」
そういうことでよろしくルキナ。
そう言って手を差し伸べてくる男の笑顔に釣られ、ルキナも思わず手を伸ばしてしまった。
イリスは古い言葉で虹の女神という意味だと聞いたことがある。またルキナの源流でもあるイーリス王家もそこから国名を取ったとも。どう見ても男である彼につけられる名前なのかは疑問だが、他に手がかりがない上本人もそう言うならばルキナとしても信じるしかない。
「…ええ、よろしくお願いしますイリスさん」
幼い頃の記憶にある父よりは小さな手だが、それでもルキナの手をすっぽりと覆う位の大きさがある掌と握手を交わす。会ったばかりだというのにすぐ溶け込んでしまう性格が母ルフレにどこか似ていると、ルキナはどこか懐かしさを感じた。
*
取り敢えず砂漠を抜けて集落を探そうという話になり、二人はオアシスで一夜を明かして朝方の冷気が残る砂地をひたすら歩いた。
二人が出会った地に比べれば大分歩きやすく緑もところどころに見られるようになった道ではあるが、それでも遮るものがなく容赦なく吹き付ける風と砂塵に辟易としてしまう。それでも足を進めなければならない、エメリナ救出のために情報を集めなければ。
「ルキナ、向こうに建物が!」
フードをかぶるイリスが指差した方角には確かに集落らしきものが見え、ルキナは思わず安堵の笑みを浮かべる。
しかし風に乗って漂ってきた異臭に顔をしかめる。熱気で揺らめく集落の影から煙が出ていることに気づいた時、ルキナは思わず駆け出していた。
「ルキナ?」
「イリスさん、貴方はここにいてください!」
嫌な予感がした。砂に足を取られながらも無我夢中で走る。案の定近づけば近づくほど焦げ臭さ以外の臭いと叫びが聞こえ、ルキナは眉をしかめファルシオンの柄を握る。
村の入口に辿りついた時目にしたのは屍兵の群れと、火を放たれ逃げ惑う人々だった。
「そんな、ここにまで…!」
目の前で斬り殺され蹂躙されていく民の姿に唇を噛む。ルキナと共に未来から送り込まれていたという屍兵は日に日に数を増していると聞いたが、まさかこんな辺境まで狙ってくるとは。
どのみちこれ以上好きにさせるわけにはいかない。ファルシオンを鞘から抜き、太陽に煌めかせると屍兵の群れへと突っ込んでいった。
斬っても斬っても湧いてでる屍兵にルキナは汗を拭うまもなく剣を振り続ける。
幸いなことに生き残っている住民は逃げおおせたようだが、応戦できる者は皆ルキナ以外殺され熱風が吹き荒れる村でただ一人戦い続けている状況になってしまった。
これ以上は捌ききれない、だが屍兵は放っておいたら近隣の村に向かい殺戮の限りを尽くしてしまうだろう。賊とは違い、彼らは目的すら持たずただ人々に剣を向けてくるのだ。
どうすればいいのか必死で策を凝らすも焦れば焦るほど頭は混乱する。
また一匹と斬り倒し、次の目標を探そうと目線を上げたとき背後から悲鳴が上がった。
振り返れば逃げ遅れたらしい少年が、屍兵に追い詰められ腰を抜かしている。背後は壁で逃げ場がない。
「しまった…!」
ファルシオンを構えようにも丁度鎧の隙間に挟まってしまい思うように抜けない。血に濡れた分厚い斧の刃が怯える子供に振り下ろされようとしたその時、手を伸ばすルキナの前に空気が焼けるような臭いと共に鋭い雷光が走っていく。
雷撃は一撃で屍兵の身体を焼き、腐臭と焦げ臭さが入り混じった異臭を放つとあっという間に黒煙となり、鎧と斧を残して風の中掻き消えていった。
「イリスさん、どうしてここに…」
呪文書を携え荒く息をつく彼にルキナは目を丸くする。
イリスは汗をぬぐいながら微笑んで見せるが、すぐに顔を険しくさせ呪文書を開いた。
凄まじい雷光が黒煙に包まれた村を照らした。慌てて呆然としている少年の傍に駆け寄ると、屋根からドサリと屍兵達が落ちてきた。
「僕はもう少し様子を見てくる、ルキナはその子を見ていてくれ!」
「イリスさん、待ってください!一人では…」
屍兵が使っていたらしい剣を握ると、イリスは炎の中を駆けていった。
ルキナは彼を追おうとするも、子供がマントを握りしめていることに気づき足を止める。
――ひとまずこの子を安全な所に連れて行かないと…
涙目になっている少年に大丈夫だ、と頷いて見せルキナはその子の手をとった。
呪文書と剣を握ると、何故だか妙に感覚が冴え渡る気がする。
そう、記憶を失う前もこうして戦っていたかのような…
イリスは崩れて落ちていない道を慎重に進みながら自分の知らない自分を探ろうと思考を巡らせていた。
ルキナがあらかた倒してしまっている為か敵の数は少ない。だが彼らを闇雲に倒しても増援が来るかもしれないことを何故だか直感で感じ取っていた。
彼らは人の形こそしているが考え方は無機質で、その目的はただ一つ、人を殺すことだけだ。
それ故躊躇いなく剣を振り下ろせることをルフレは知っている。そして、司令を発していると思わしき将を倒せばそれ以上増えないことも。
――何故僕は、こいつらのことを知っている?
背後から斬りかかってきた屍兵を振り向きざまに斬りつけ体勢を崩したところを思い切り蹴飛ばす。瓦礫の中に倒れたそれに雷撃を加えれば一瞬で煙になる姿を無感動に見つめながらぼんやりと考えた。
――それにルキナが振るう剣もどこかで見たことがある気がする。
彼女が振るう、どんなに斬っても刃こぼれ一つしない剣を思い返す。
武器は基本的に消耗品だ。柄が折れたり刃が血糊で切れなくなってしまったりとすぐに使えなくなってしまうことが多い。だが彼女の剣は違う。障害物を叩き斬っても貫いても白銀の輝きを失わないのだ。
どこで見たのだろう、と炎の中舞い踊る灰を見つめながら考える。
確か、その剣を持っていたのも藍髪の人物だった気がする。だがルキナの背中よりも大きかった。
しかし青い目に宿る強い光は彼女と同じだった。その人物の笑顔を思い浮かべようと額に手を当てる。
だがどんなに頭を捻らせてもそれ以上先の記憶は霞がかかったように思い出せず、むしろどんどんとこの手から遠ざかるようにその影は薄れていく。これ以上は無理か、とため息をつきイリスは額から手を離す。
そして琥珀色の瞳を剃刀のように細め前方を睨みつけた。
「っと、あれがそうかな」
砦のように囲まれた瓦礫の向こうに、今までの屍兵とは明らかに異なる威圧感を放つ者を見つける。周りから次々と陣が現れ泥人形のようにずるりと増援が現れていた。
今叩かないと厄介なことになる。イリスは焼け切れ始めた呪文書と錆びた剣を見て消耗具合を確認すると、彼らに気づかれぬよう物音を立てないでそっと建物の上へ乗り移った。
――まずはこれ以上増援を呼ばせない為にも、屍兵将から効率的に倒さないと。
増援を呼ぶ時に一瞬の隙が奴らに生まれる。唸り声をあげ不気味な光が場を満たしたのを合図に、イリスは今まで以上に気を集中させ陣を発生させた。それは先ほどまでの雷撃よりも細いが力を高密度に練ってある為、身体こそ頑強だが魔術には耐性がないそれを一撃で倒せるはずだ。予想通り隙が生まれた屍兵将の背中を貫き、一瞬で蒸発させる。
統制が取れなくなった屍兵達は攻撃してきたイリスを探そうと右往左往し始める。武器の耐久的にも各個撃破するのが最善だと判断し、近づいてきた者達を術で薙ぎ払う。呪文書が耐用限度を超え手の中でバラバラになった。それを投げつけ目くらましをし、紙が舞い降りる中イリスは剣を振り回し、屍兵を倒していった。
しかし切れ味が悪くなった剣では中々効率よく立ち回れず、汗を拭う間もなくこちらを掠めてくる屍兵の攻撃を避ける。鎧を着込んだ屍兵には決して非力ではないが骨を叩き切る程の力がないイリスには不利だ。屍兵将を倒した以上、この数ならば近隣を攻め入っても壊滅させることはないだろう。撤退を一瞬考えた時右手を切られ、手袋が避け素手が顕になりイリスは顔を顰める。
剣ももう後数回攻撃を受ければ砕けてしまう。敵の数を確認し一度下がろうとしたとき、横から眩い光が煌めき、すぐ傍まで迫っていた屍兵を弾き飛ばした。
「一人では無謀です!」
藍髪が視界に広がり、マントを翻したルキナが盾になるよう立っていた。
あの少年を安全な所に送り届けてくれたのだろうか。安堵し薄く血が滲む右手を撫でると、彼女は一瞬目を見開いた。
「イリスさん、その手…」
「おっと、話は後だ。もう増援は来ないだろうからあとちょっとだ。協力してくれないか?」
ルキナは何か言いたげな顔をしたが、屍兵の呻きを聞き我にかえった。
数こそ減ってはいるが油断は出来ない。ルキナと背中合わせになりいかに効率的に敵を屠るか思考を巡らせる。
――やはり、こうして誰かと戦うことに覚えがある。
僕は何と戦っていたのだろう?
どうしてこいつらに見覚えがあるんだ?
疑問に思いながらも剣を構え、隙を探し目前の屍兵を睨みつける。
剣に映った自分の顔は恐ろしく冷酷な目をしていていた。
*
「助かりました、貴方達がいなければこの子は…」
少年の母親らしき婦人に頭を下げられ、ルキナは「お互い様です」と微笑を浮かべる。
生き残った村人は離れた場所にあった倉庫に集まり、屍兵襲撃の難を逃れていた。
「みなさんはこれからどうされるんですか?」
「生き残っても村がああなってしまったから…近くの街まで行こうと思っています。あの化物のことを伝えて対策を考えないと」
「戦争も始まるというしねぇ。住み慣れた場所を離れるのは悔しいが、若者がやられた以上人が多いところに集まっとかないと…」
「また前の戦いみたいにひどくならなきゃいいんだが」
ため息混じりに語る大人たちにルキナは顔を暗くさせた。ペレジアの人間であれど全てがギムレーを崇める狂信者なわけではなく、日々を平穏に生きたいだけの民なのだ。
――これ以上無駄な血を流させない為にも、エメリナを救わなければならない。もし彼女を亡くせば、この世界全てが闇に染まってしまうのだから。
掌を固く握り締めるルキナの姿をイリスは静かに見つめていた。
夕焼けに染まる荒野を見つめながら剣を握りしめているルキナを見つけ、イリスは傍らに立つ。
彼女がゆっくりとこちらへ振り返る。澄んだ宝石のような左目に何か紋章のようなものが刻まれていることに今更気付かされた。
「ルキナ、僕はあの人たちに付いていくよ」
遮るものがなく砂混じりで吹き付けてくる風の中、イリスはポツリと呟いた。
ルキナは少しだけ目を瞠る。気遣うようにこちらを見てくる少女に微笑みかけた。
「大丈夫だよ、どうやら戦う力はあるみたいだからあの人達の護衛くらいなら出来る。それに、人が多い場所なら記憶を取り戻す手がかりが見つかるかもしれない」
「イリスさん…」
「街についたら傭兵でもしてお金を稼ぐ。だから君は心配しないで、君が成すことを成せばいい」
「どうしてそのことを?」
「いくら君が強いとはいえ女の子が一人旅しているんだ。よほどのことがなければこんな危険なことしないだろう?」
肩を竦めて見せればルキナは形の良い唇を噛み締める。彼女が何を目的にしているかはわからない、しかしどこか焦っているかのようにこの荒野の果てを見つめている姿に途轍もなく重い物を背負っていることはわかった。
出来ることなら支えたい。しかし、記憶がない自分では足手纏いになってしまうだろう。
「はい、私には使命があります。急がなければ取り返しのつかないことになってしまう…」
「もし言いづらいことじゃなければ、教えてくれないかな?僕にも何か出来るかもしれない」
彼女が複雑そうな顔でこちらを見つめてくる。ちょっと深入りし過ぎたかもしれない、と内心冷や汗をかいていたが、ルキナは意を決したように真っ直ぐとこちらを見つめ言葉を紡いだ。
「私には、変えたい未来があるんです」
「未来?」
「その為に、聖王エメリナを助けなければならないんです。何に変えても…」
その目に宿る強い光に息を呑む。
やはりこの目を知っている。だけど彼女はイリスのことを知らないという。
ならば誰なのだろう?この曖昧な記憶の底にいる人物は…
「ごめんなさい、貴方には記憶がないのに…こんなこと言われても訳がわからないですよね」
忘れてください、そう言ってルキナは悲しげに目を伏せた。
彼女の助けになりたいと直感的に思った。ぼやけた記憶にいる人物と似ている、というだけなのにそうしたいと心の底から思ったのだ。
「イリスさんって、私の母に似ているからつい変なことを口走ってしまうんです」
「ルキナのお母さんって…えっと、僕男なんだけど」
「雰囲気が、ということですよ。そうだ、貴方はもしかしたらイーリス国に縁があるかもしれない。機会があったらイーリスに来てください。私の母国なんです」
「うん、そうさせてもらうよ。有難うルキナ」
「あの、イリスさん。私からも一つ聞きたいことがあります。その右手…」
「右手?」
「…いえ、やっぱりなんでもないです」
貴方には記憶がないんですよね、と一人首を振りながら呟くルキナに首を傾げる。
そういえば戦闘中に負傷したのだった、と自らの手を改めて見て、思わず「うわっ」と声に出してしまった。
素手を晒しているそこには、先ほど受けた掠り傷と不気味な火傷痕のようなものが刻まれていた。
何かの紋章のようにそこだけ歪に盛り上がっており、過去の自分は焼印でも押されたのか顔をしかめてしまう。
そういえば戦闘中にもルキナはこの手が気になっていたようだった。何か意味がある紋章なのかもしれない。いずれにせよあまり人に見せてはいけないような気がして、袖の中に手を隠す。この印についても街についたら調べる必要があるかもしれない。
「それでは、私は行きますね」
「うん。使命も大事だけど自分のことも大事にするんだよ、ルキナ」
「有難うございます、イリスさんもお気をつけて。記憶が戻るといいですね」
和やかに笑い合い、二人で昇り始めた月を見上げた。
ルキナは暗がりに包まれた道へ一歩を踏み出し、イリスは彼女の背中を眺め、彼女の無事を名も知らぬ神に祈る。
別れの時が近づいている。それでも不思議と悲しみや不安はなかった。この広い荒野で出会えたように、また会えると何処かで確信していたからかもしれない。
目には見えない奇妙な絆。芽生えつつある不可思議な感情の名を二人はまだ知らなかった。