「ルフレさん、助けて~!」
バレンタイン、それはファウダーとの対決を前に緊迫した軍内でも甘酸っぱい気持ちになれる特別な日。
軍師ルフレとて例外ではない。女性陣から貰った(義理ではあるが)心のこもった菓子や贈り物の山に私室替わりの天幕内でほくほくとしていると、甘い空気に似つかわしくない少年の悲愴な声が外から聞こえた。
「わ、アズールか。どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもないです、この僕の命に危険が迫っているんですよ!」
普段は軽いノリに見られがちなアズールが必死な顔をして駆け込んできた。日頃の感謝を込めて皆に配っている菓子のチェックリストを一先ず机に置き、顔面蒼白になっている彼の話を聞こうとした、が。
「アズールさーん、み・つ・け・ま・し・た・よ?」
「ひぃ、マーク!」
小さな影が覗き込むと同時にアズールの肩が可哀想な程びくりと跳ねた。彼に後ろから飛びついているのはルフレの愛娘、マークだ。
「あ、父さん!聞いてください、アズールさんったら私を見たら兎さんのように逃げ回るんですよ~」
「そりゃ逃げるに決まっているだろ!?」
「うう…ひどいです、女の子からもらうものはなんでも嬉しいって、前に言っていた癖に!私、貴方のためにすっごい頑張って、心を込めて作ったのに…」
本来ならリスのように首を傾げて目を潤ませている、親の贔屓目抜きで可愛い娘に加担したいところだが、バレンタインという行事に人一倍浮かれてそうなアズールの怯え具合を見る限り何かのっぴきならぬ事情がありそうだ。ルフレは一先ず静観を決め込むことにすると、顔を青ざめさせたアズールが必死に弁明する。
「そりゃいつもだったら泣いて喜ぶくらい嬉しいよ…君のクッキーを食べたブレディが泡噴いて倒れなければね!!」
「あれはブレディさんの為にと特別に作ったものだからですよー!風邪を引かせない魅惑の健康ボディにするために、貴重な砂トカゲの毒入り内蔵と暗黒司祭の生き血と覇王の髭をじっくりことこと一週間煮込んだエキスを練りこんだのです!門外不出の秘伝レシピは、なんと闇魔術のカリスマ・ヘンリーさん完全監修!」
「そんなおどろおどろしい真実を聞いたら余計に逃げたくなるに決まっているじゃないか!」
「あ、ちなみにアズールさん用に作ったこの特製マドレーヌはですね!いつもフラレっぱなしのアズールさんがモテますようにって願いを込めて作ったんですよ~。女の子の前に行ったらジェロームさんみたく喋れなくなって、とーっても誠実になれる素敵な成分をサーリャさんと相談しながら作ったんです!父さん、我ながら名案だと思いませんか?」
「それって僕のアイデンティティを完全に否定してるよね?!」
残酷なまでに無邪気にそう言い放つマークと、死刑宣告を受けた囚人のように絶望しきった表情でこちらを見てくるアズールにルフレは深くため息をついた。マークとしては完全に善意なのだろうが、流石にこれでは彼が可哀想だ。それにブレディの事例を聞く限りとんでもない材料が使われているに違いないだろう。
怯えるアズールの口に妙な色をしたマドレーヌを押し付けている娘(心なしかいつもより生き生きとしている)に視線を向けると、父親らしく止めようと口を開いた。
「マーク、頑張りは認めるけどもアズールが可哀想だよ。確かにアズールはナンパな性格だし救いようもなく軽いけど困った女の子を助ける優しいところだってあるんだから…」
「勿論マークちゃんは大好きな母さんにもバッチリあげました!母さんがデレデレになって父さんといつまでもラブラブでいられますようにってお願いを込めちゃいました。うーん、私ってなんて健気な娘なのでしょう!」
どんぐりのようにクリッとした目を輝かせそう語るマークに、何故だか途轍もなく嫌な予感がした。
――ルキナがデレデレ…?それに、ラブラブって…
妻であるルキナには朝一番に手作りのケーキを貰った。後で一緒に食べようと約束したのだが、それきり今日は姿を見ていない。
単にまずいだけならいい。問題なのはマークの料理には闇魔術的効果があるらしく、以前料理を食べさせられていたジェロームが妙に口達者になり、ロランが服を脱ぎだしワイルドな喋り方になっていたことがあった。本職達との共同開発だ、張り切って作っただけにその効果も絶大だろう。
「アズール、悪いけどこれ以上犠牲者を出さないためにもマークを抑えていてくれ!」
「ええー!ルフレさん、ちょっとどこ行くの!?」
「父さんったら早速母さんのデレデレ効果を見に行ったんですね、本当に母さんラブで羨ましさを通り越して妬ましい限りです!さあアズールさん、あーんしてくださいな」
「マ、マーク、ちょっと待って…そんな変な匂いのするもの口に押し付けられたら、僕…うあああああ、助けてールフレさーん!!」
アズールの悲鳴が聞こえた気がしたが、ルフレの頭の中は愛しい彼女のことで一杯だった。
ルキナのことだ、可愛い娘が作ったものならば例えどんな見た目のものでも快く食べるに違いない。ただでさえ彼女は少し人よりもずれた感性を持っているのだから。
まだ口にしてないことを祈るしかない――!!
しかし、時既に遅かったことをルフレは身を持って知ることとなる。
「はあ、お父様の大胸筋ってなんて素敵なのでしょう…」
「ルキナ、どうした?なにか悪いものでも食べたか?」
ルキナの行方を知らないか聞こうと血相を変えてクロムの天幕に突撃したとき、ルフレは最悪の自体が引き起こされたことを即座に理解した。
恋人であるルフレを前にしても常に凛々しい表情であるはずの彼女は顔を真っ赤にし、呼吸を荒げながら彼女の父であるクロムにべったりと抱きついている。
「うふふ流石お父様、引き締まった大殿筋も素敵ですね。お母様は大好きですけれども、私のお父様を独占するのはやっぱりずるいです…」
「ルフレ…なあ、なにが一体どうなっているんだ?」
さわさわと逞しい体を触り続けるルキナと、明らかに困惑した目でこちらを見つめてくるクロムに思わず頭を抱えてしまう。
マークの自分を上回る闇魔術の才能に対する感心と呆れ、そしてクロムに対する微妙な嫉妬心が一瞬胸をよぎった。他人ではなく父親である彼に絡んでいてある意味よかったとも思えるが、素直に安堵できる程割り切っているわけではない。ルキナは世界と愛する父親を救うためにやってきたのだから。
――と、今は自分の気持ちについてあれこれ考えている場合じゃないな。
いくらクロムの細君が心広くとも、年頃の娘が夫にベタベタしていたら心穏やかではないだろう。まだルキナが娘だとわかる前、抱き合っている二人を見て相当ショックを受けていたのだからなおさらだ。この現場を見られたら折角のバレンタインが険悪な雰囲気と化すのは想像に容易い。
「ルキナ、スキンシップはここまでだ。クロムが困っているじゃないか」
「ルフレさん…?」
薔薇色の頬、とろりと蜜のように溶けた青い瞳がこちらをじっと見つめてきて、ルフレは不覚にもドキリとしてしまった。こんな女の顔でクロムを見ていたのか、と言葉を失い慌てて視線を逸らして彼の体からルキナを引き剥がした。
「助かった、礼を言う。…おい、なんで睨んでくるんだ?」
「なーんでも。なあ、ルキナ借りてってもいいか?どうやらマークの菓子に当てられたみたいなんだ」
「菓子に当てられる…?なんだよそれ」
「詳しい話は後だ!クロム、くれぐれもマークに何かを貰っても食べちゃ駄目だよ。命の保証はしないからね」
「?ああ、わかった」
唖然としているクロムを前に半ば引きずるようにルキナの手を引き天幕の外に出ようとする。
「…ルキナに妙なことはするなよ?」
「僕は君と違って手が早くないから」
憮然とした顔で腕を組むクロムを皮肉るようにルフレは笑いかけると、「おとうさまぁ」と舌足らずな声で父を呼ぶルキナをズルズルと引きずりながら正気にさせる方法を考えた。
人がいないことを確認すると、ルフレはルキナを伴い武器庫替わりの天幕へと入っていった。
薄暗く埃っぽいそこではあるが、デレデレを通り越してドロドロになっているルキナの無防備さには流石に何かを致す気にはならない。普段は隙を見せないからこそ色々悪戯したくなることはあるのだが、木箱の上に腰掛け足をぶらぶらさせている彼女の無邪気さには欲情よりも心配さが勝るのだ。
「ルキナ、ほら水」
「いやです」
駄々っ子のように頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向くルキナはどこかマークに似ていた。まあ母親だから当たり前なんだけどさ、と水筒片手にため息をついていると急にルキナがグッと顔を近づけてきた。
聖痕が刻まれた虹彩がじっとこちらを見つめてくる。ルフレも大分この状態の彼女に慣れてきたため、対して動じずに首を傾げた。
「どうかした?」
「…あなたが口移ししてくれるなら、のみます」
「えー…?」
普段のルキナなら絶対言わなそうな言葉に、ルフレはそれしか口に出せなかった。
あんぐりと口を開けていると、彼女の青玉のような瞳に透明な雫がみるみると溜まっていく。
「ル、ルキナ、なんで泣くのさ?」
「だって、ルフレさんったら、朝から女の人にたくさんお菓子もらってて…」
「え?」
「お父様にくっついていても、あなたはいつもどおりの顔してて…私のこと、結局こども扱いしてるんです」
はらはらと彼女の頬を流れ落ちていく涙にルフレは呆気に取られてしまう。
そういえば収穫祭の時、デジェルがこんな状態だったとげっそりとしたセレナに聞いたことがある。なんでも人に秘めていた想いを打ち明けてしまう秘薬なるものを飲んでしまったからだと。
――もしかしてマークはその秘薬とやらをどこかで入手したのか、もしくは自分で作ってしまったのか…?
顎に手を当て推理していると、頬に痛みが走り目を瞬かせる。
見れば涙を流すルキナに頬を掴まれ引き伸ばされていた。
「…ルフレさん、ほかの女の子のことかんがえてますね?」
「ほんらほとらいはら!」
「…わたしだけが、こんなに好きで…好きでしょうがないのに、ルフレさんなんてアズールといっしょなんですね…」
頬の痛みとグサリと刺さる一言にうう、と呻き声を漏らした。いくらなんでもアズールと同類に扱われるのは傷つく。ルフレが異性として傍にいたいのはルキナだけなのだから。
「ひ、ひひゃいよるきな…」
「じゃあ口移ししてください、そしたらはなしてあげます」
これがマークみたいにこちらをからかって言っているならまだ叱れるのだが、ルキナの涙に濡れた目はいつものように真剣で、真っ直ぐこちらを見つめてくる。
クロムに似て思い込んだら一直線な彼女がここで引くとは思えない。ルフレは冷や汗をかきながらこくこくと頷くと、ようやく彼女は指を離してくれた。
――僕だって、ルキナのことこんなにも好きなのになぁ…
外套の隠しポケットに入れっぱなしの指輪のことを思い出しながらルフレは髪を掻きあげる。
もしルキナが使命を果たし、世界が平和になった時。
そして自分がクロムを殺さずに済んだ時、この指輪を渡そうと決意していた。
もし自分がファウダーの支配に屈してしまった時に、彼女の妨げになりたくなかった。指輪を送ってしまえば不器用な程真っ直ぐな彼女は使命と愛の誓いの狭間に苦しんでしまうだろうから。
未だに子供扱いするような態度を取ってしまうのは、この恋が憧憬からくるまやかしだといざという時彼女が切り捨てられるようする為だった。
――だったら告白するなって話だけど、ルキナが他の男に取られるのも嫌なんだ。
クロムと話す彼女を見るだけで嫉妬してしまうくらいなんだから。
我が儘な自分を自嘲するように口元を歪めると、覚悟を決めて水筒に口をつける。
ルキナは涙に濡れた睫毛を伏せ、ルフレからの口付けを待っていた。
薄く色づいた唇を心ゆくまで吸い付き貪りたい、という男の欲求をなんとか抑えて彼女の口に自らのものをそっと押し付けた。
「ん…」
ルキナの小さな喘ぎ声に、彼女の柔らかな髪を撫でながら水を伝わせていく。
体温に比べれば冷たい水が彼女の喉を潤したことを確認すると口を離した。
――…これ以上はダメだ。
このまま続けたい気持ちはあったが、抑えられる自信がないから慌てて顔をそらした。
クロムにも変なことをするなと釘を刺されている以上その先のことは出来るはずがない。しかしルキナは未だに瞼を伏せており、心拍数は落ち着くどころかむしろどんどん忙しなくなっている気がする。
「ルキナ、そのまま聞いていて欲しいんだ」
照れと自分の欲を抑えるために彼女から背を向け、唇を抑えながらルフレは言葉を紡ぎ出した。
「僕は軍師である以上、なるべく人を均等な目線で見なくてはいけない。ましてや君は親友の娘だ、恋人なのに必要以上に兄ぶっていたところはあるからそれは謝るよ」
ルキナがどんな顔をしているかこちらからは見えない。また泣かせてしまっているだろうか、それでもルフレは心の底にある言葉を口にしつづけた。
「でも、こうやってキスをしたいのはルキナだけだ。共に生きていきたいのも、作った料理を食べ続けていたいのも君だけなんだ。正直に言うとね、クロムと君が話しているだけでも僕はイライラするんだよ。君にとって誰よりも大切な人だってことはちゃんとわかっているし親子の愛情だって知っている。けれども二人の絆に入れない自分がどうしようもなく悔しいんだ」
突如むき出しにされた黒い感情に、ルキナは怖がってしまっているだろうか。呆れてしまっているだろうか。不安はあったが、今ここで口にしとかなければ届かなくなってしまうかもしれないという謎めいた予感があった。マークの悪戯も、父親の煮えきれない態度を見てこの薬を仕込んだのではないかいうと深読みさえしてしまう。
「僕はもう、ルキナのことをクロムの娘として仲間として…建前はともかく本心ではそんな風に見ていない。異性として…ちゃんと愛してる。だから、この戦いが無事に終わったら」
たまらずルフレは振り返り、ルキナの意志を確認しようとする。ポケットの中の指輪が踊り、指でその感触を確かめながら意を決し視線をしっかりと合わせた。
彼女は唇に手を当て、目を丸くしながらこちらを見ていた。
「ル、ルフレさん…?」
「ファウダーを倒して落ち着いたら、僕は君に!」
「私、何をしていたんですか?」
ルキナの思いがけない言葉に、思わず勢い余って転んでしまいそうになった。
当の彼女は困惑したように視線を彷徨わせており、先ほどの熱にうかされたような色が瞳から消えていた。
「えっと…ルキナ?もしかして、覚えていないとか…」
「はい、おぼろげにならお父様と話していた記憶はあるのですが、その…」
ごめんなさい、と眉を八の字にして謝る彼女はいつもの涼やかな眼差しをしており、なんでよりにもよってこのタイミングで我に返るのかとルフレはタイミングの悪さに嘆きたくなった。
そういえば以前子世代男子陣でのマークによる菓子の人体実験効果も一時的だったことを思い出す。どこからともなく「これも策のうちです!」という可愛らしい声が聞こえた気がしてがっくりとうな垂れた。
「私、貴方に何か失礼なことをしてしまったのでしょうか?」
「…いや、いいんだ。君はマークの特製手作り菓子にあてられていたんだよ。正気へ戻ってくれてよかった」
「マーク…?そういえば、マークからピンクの可愛らしい形をしたマカロンを貰ったような」
絶対それだ、とため息をついてルフレは首を振って情けない気持ちを振り払った。
人に頼っていてはそう都合よく行かないか、と出しかけていた指輪をポケットの奥へ落とし笑顔を浮かべる。
――それでも、率直に彼女へとこの気持ちを言えたんだ。胸のつかえが取れた分、これからはもっと素直な気持ちでルキナに向き合える気がする。
そう前向きに考え、ルフレは自分の頬を軽く両手で叩いた。そして必死で自分がしたことを思い返している愛しい彼女に微笑みかけ手を差し伸べる。
「君は何も悪いことをしていないよ。なあ、折角だから口直しにお茶でもしないか?君から貰ったケーキでさ」
ルキナは何度か目を瞬かせていたが、目尻に残っていた涙をそっと拭うと微笑みルフレの手に自らの指を絡めた。
「…はい、今までで一番美味しく作れた自信作なんですよ!お父様には内緒ですけど、ルフレさんの方を一回り大きく作ってみたんですよ?」
「ははは、それは嬉しいな。ルキナは料理上手だからね、僕とマークに正しい料理の仕方を教えてやって欲しいくらいだ」
「うふふ、そのうち三人で料理教室やりましょうね」
二人で顔を見合わせてはにかみ合い、埃っぽい天幕から外へ出る。
ルフレの天幕へと仲良く手を繋いで歩いていた途中、ルキナがふと足を止めたことに気づきルフレは振り返る。
「どうかしたのかい、ルキナ?」
「…私も、愛していますから」
顔を赤くし、熱を帯びた唇に触れながら呟かれたルキナの小さな告白は風に遮られ、ルフレに届くことがなかった。しかし彼は恋人の表情を見て理解したのか、そっと頷いて彼女のしなやかな指を握り締める。
今はまだ確かな誓いを言えないけれど、この手を離すつもりはないのだと。
二人が天幕に戻ったとき、妙にクールな眼差しかつ紳士的な物腰でルフレへと語りかけてくる奇妙な態度のアズールと、「ウードさんが現実的な思考回路かつ堅実な趣味になるカヌレを渡さなきゃ!」とせわしなく羽ばたくコマドリのように飛び出していくマークの姿を見たのはまた別の話。
〈END〉
連載抜いたら初めてちゃんと書いたルフルキなのになんか色々…すみませんでした。
凛々しかっこいいルキナちゃんがどこにもいないです。そしてマーク♀を書くのが楽しいこと楽しいこと…アズールの扱いがいつも悪くてどうしてこうなった感が。
一応マークは自分の料理が危険だということには薄々気付いていて、お父さんには普通の鋼味菓子をあげています。ただ彼女としては完全な善意なので逆にそれが皆を恐怖に陥れているとか…
イーリス子供世代の女子会はなんだかおどろおどろしそうですね、料理的な意味で。
本当は「チョコは本来媚薬的な食べ物だったんですよ☆」なマークを書きたかったのは秘密です。
そのうちルフルキマーク家族ものをしっかり書いてみたいです。マークは両親大好きですけど父>母、ルキナも父≧恋人的なところがあるのでそこら辺をテーマにした話でも。